【中学編】トランペット10年間続けてみた結果…【体験談】
私は中学校入学から高専専攻科修了*1までの10年間、一貫して吹奏楽部に所属してトランペットを担当していました。この記事ではそれを通しての自分の考えや体験を書いていきたいと思います。
元は1つの記事にする予定でしたが中学編が長くなったため分割したいと思います。決して姪っ子に会いたいからじゃないぞ
それでは目次です。
中学時代
中学校入学と入部動機
私が通う中学校では原則生徒は部活動に加入するというのが校則でした。兄姉からそのルールを事前に知っていた私は所属する部活動を十中八九決めていました。それが吹奏楽部です。
理由は二つありますがどちらも非常にシンプルなものです。
- 運動部が嫌でかつ美術が不得手であるため
- 姉が所属していた部活動であるため
私の中学校は文化部が美術部と吹奏楽部しかありませんでした。そのため当時は運動があまり好きではなかったのと美術に対して苦手意識から消去法で吹奏楽部にしました。またそれまで三歳差の姉が所属していたので姉と入れ替わるように入部すれば姉の名前を使って部に馴染めると考えたのです。今思うと消去法と打算ってすげぇ後ろ向きやな
当時は部員の9割近くが女子部員だったのですが入部後は「○○先輩の弟なんだ~、よろしく!」と割と早く顔と名前を覚えてもらえたような気がします。
中学1年生(1年目)
さて無事入部をし担当楽器がトランペットになるのですが正直経緯や理由をあまりよく覚えていません。最後まで決めずにふわふわしていたら他の楽器が埋まってしまっていたという感じだったと思います。
トランペットパートには3年生の先輩が2人いました。基本的にはその方々の指導を受けてながら練習していくことになります。ですが私はあまり熱心に練習をしていなかったと思います。まず入部動機が動機ですしパートも先輩方2人でまわっていたのです。合奏においても初心者の私の影響力は微々たるものでした。
吹奏楽やトランペットに対しても情熱がなく周囲からもプレッシャーを感じていなかった私は淡々と部活動に取り組みます。サボりなど露骨な問題行動こそしませんが特に自主練習なども前向きなこともしません。
先輩の実力や陰に隠れて楽をしていた当時の私は非常に重要なことに気づいていなかったのです。
来年には自分がパートのトップになるということに
中学2~3年生(2~3年目)
悲惨な現状
さて先輩方が卒業した後からは苦難の連続です。
それまでまともに吹奏楽に向き合っていなかった私は譜面すらろくに読めない状況でした。譜面から実際のリズムを読み取ったり声に出して歌うことすら怪しかったのです。他の部員に聞いたり何とか自分で読めてもトランペットの技術が追い付かないなんてこともありました。
合奏ではそれまで隠れ蓑にしていた先輩方がいなくなったことによって自分がパートのトップとして演奏することを求められました。合奏でほとんど音を出していなかった私はそのプレッシャーに押しつぶされて吹けなくなりました。周囲からの冷ややかな視線が自分の心に突き刺る感触をよく覚えています。
後輩もパートに入ってくるのですが指導なんてできる訳がありません。もうだいぶ前のことで曖昧ですがパートとしてのまとまりはあまりなかったような気がします。
これらのことから部内での私の立場は非常に弱くなります。先輩からは介護をするかのように気をかけられ同級生や後輩にはナメられるようになりました。正直部活動にいくのが最も苦痛な期間でした。
最も受け入れがたい事
部活動にいくのは苦痛でしたがそれより受け入れ難いこともありました。それは
自分が下手なせいで他の部員やバンドの評価を下げる
ということです。自分が未熟なせいで自分の評価が下がることは構いません。ですが吹奏楽は団体競技です。個々人で評価されることもありますが基本バンド単位で評価されます。ですから私が足を引っ張り不当な評価を受けることもあるのです。
私が同級生や後輩にひどい態度やことをされても何も言い返したり仕返しをしなかったのはなぜだと思いますか。それは楽器の実力は確かにあったためです。
合奏で私が何もできずオロオロしている間、彼女らは自分のパートをしっかり演奏していたのです。おそらく楽器への適性があったり1年生の頃からしっかり練習していたのでしょう。
いくら自分を攻撃してくる相手といえどそれは不当な評価を受けていい理由にはならないと思えたのです。そのような考えと「いつか見返してやる」という気持ちから現状を打開するためトランペットに真剣に向き合っていくことになります。
打開に向けて
トランペットを上手くなるために起こした具体的な行動はとにかく練習時間を増やして地道な基礎練習に取り組むことでした。
中学の吹奏楽部には7時半からほぼ任意参加の朝練がありました。ですが私も7時半から参加していては皆との差は埋まりません。私の学校では7時に用務員さんがきて学校を開けます。そこで私は家を6時半に出て学校に7時前には着き用務員さんを待ち伏せすることにしたのです。
こうすることによって用務員さんが学校をあけると同時に音楽室の鍵を借りて他の部員より早く朝練を始められました。余談*2を脚注に着けておきます。
あとはとにかく普段の部活動でも真剣に取り組み放課後の部活動も下校時間ぎりぎりまで残るようにしました。
奮闘するも…
部活動に対する姿勢は改めたのですがトランペットはなかなか上達しませんでした。むしろ周囲との差は広がっていくようにすら感じていました。様々なイベントや大会で演奏するのですが上手くいったところよりも失敗が目につきます。
ですが途中で諦めるわけにはいきませんし最後には報われるだろうという根拠のない考えもありました。失敗続きですが部活動には真剣に取り組み続けました。
そして最後の演奏の機会である定期演奏会がやってきました。3年生はこのステージが終わったら引退です。プログラムには私の長めのソロがある曲があります。その曲が一番の私の見せ場といえます。
結果から言いますと本番では全くソロが吹けませんでした。音を外すというレベルではなく途切れて無音になってしまったのです。慌てて演奏しなおしますがその後もグダグダにだったと思います。
そうして私の中学時代の部活動は大した成功もできず2年間の努力も空しく幕を閉じました。
高専の部活動は
中学での吹奏楽部の体験は私の心に大きな影を落としました。努力しても報われないこと、実力の無さから虐げられること、自分には楽器への適性がないことそれらは高専では吹奏楽をやらないことを決意させるには十分でした。