ろばのたわむれごと

休学した大学院生がゆるーく書く雑記ブログ

【高専3年編】トランペット10年間続けてみた結果【体験談】

私は中学校入学から高専専攻科修了*1までの10年間、一貫して吹奏楽部に所属してトランペットを担当していました。この記事ではそれを通しての自分の考えや体験を書いていきたいと思います。

この記事では高専吹部での本科3年生からの事を考えていきたいと思います。高専1~2年編からの続きになりますのでそちらの記事を先に読んでいただけると幸いです。

思い出話や余談を脚注に盛り込んでいたら5000文字を超える最長の記事になってしまいました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは目次です。

 

高専時代

私は本科で5年間と専攻科で2年間の計7年間在学していました。ですので目次には「本科〇年生」という形で書いていきたいと思います。あわせて()の中にはトランペット経験年数を書きます。

本科3年生(6年目)

詳細を書く前に言っておきます、この年は激動の年でした。自分がパートのトップとなり後輩2人と共に様々な難曲に立ち向かっていくことになります。ですのでイベントやコンクールの話がメインになります。

春のジョイコン

ジョイコンとはジョイントコンサートの略で他校や他団体とグループを組み合同で演奏を披露するイベントです。もちろんこれまでも参加してきましたが新体制となり初めてのイベントで緊張していました。

この年は毎年組んでいる高校に加えて社会人の楽団ともグループを組むことになりました。ジョイコンには本番の前にグループごとに集まっての合同練習があります。

この合同練習、パートのトップとして自分なりに気合を入れて臨みました。しかし結果から言いますとボロボロでした。社会人楽団の指揮者にダメなところを何度も指摘されやり直しをさせられた記憶があります。

合奏だけでも相当参っていたところにさらなる追い討ちが来ます。合奏が終わり片付けが始まった時の事です。合奏の様子を見ていた楽団の人の言葉が耳に入ってきたのです。

「高音のでないトランペットなんていらない」

当時の私にはこの言葉が突き刺さり酷い自己嫌悪に陥りました*2。今考えればトランペットの魅力は高音しかないともとれるとんだ暴言です。

ジョイコンを通して改めて実力のなさを突き付けられもっともっと成長していく必要があると痛感しました。そのような訳で出だしから躓きながら3人体制のトランペットパートが始動したのです。

夏のコンクール

ジョイコンが終わればコンクールが来ます。私のバンドが出る部門は課題曲と自由曲を演奏する必要がありました。課題曲の方*3は大丈夫だったのですが問題は自由曲です。

自由曲にはなんとソロがありました。しかも伴奏ありのソロと伴奏が全くない状態のソロの二種類があります。無伴奏のソロは後に他の楽器が加わり3人でのソリへと繋がるものでした。

どちらもよく研究をしたのを覚えています。音程のとり方から表現方法、曲のバックグラウンドを調べてそれを演奏に落とし込もうと何度も練習しました。ソリの部分は3人で集まって音が揃うよう特訓*4をしました。

コンクール本番

そうして迎えた本番ですがあまり緊張してはいなかったように思えます。2年半の高専吹部での活動から失敗してもとやかく言われることはないだろうと信じていました。あったのはあとは練習通り思いっ切りやろうという前向きな気持ちです。

その結果私は2つのソロを無事に吹き切ることが出来ました。特にホールが静寂に包まれた後に私の音でホールを満たした時の光景は目に焼き付いています。ホールにいる全員の意識が私に向いているにも関わらず堂々と吹き切った自身の度胸に一番驚きました。

この成功体験からあまりソロに対して物怖じしなくなりました。それまでは楽譜に「Solo」という表記があると中学のトラウマから「やりたくない」などの消極的な気持ちになりがちでした。でもこの時からは「おっ見せ場やん!」とソロに積極的な気持ちを持てるようになります。

秋の高専

まぁいわゆる高校でいうところの文化祭ですね。吹奏楽部ではその年ごとにプログラムを組んで体育館で1時間ほどの演奏を披露する訳です。

この年の目玉である曲は「スターウォーズメドレー」でした。ですがこの曲は非常に高難易度*5です。恐らく10年間で取り組んだ曲の中でトップ3に入ると思います。夏休みの段階から楽譜が配られていたのですが初見でものすごい絶望をしたのを覚えています。

ですがやると決まってしまったのですから投げ出す訳にもいきません。高専祭の練習はスターウォーズメドレーをいかに攻略するかに重点が置きました。練習するたびに挫折しようとする心を奮起させながら取り組んでいたと思います。

また並行して他の曲にも取り掛からないといけません。他の曲でも当然のように最も難しいパート*6であろう1stを担当しようとしましたがその時に後輩からある提案をされます。

「もっとパート分散させませんか?」

目から鱗でした。大変なところは全部自分一人で対応しなきゃいけないと思い込んでいた自分にはない発想でした。あとは先輩だからという驕りもあったのでしょう。正直不安もありましたが何曲か1stを任せてみることにしました。

この辺りから視点が拡がった感じがしました。それまでは自分一人で高専祭のプログラムを攻略することを考えていましたがより大きな単位であるパートで高専祭を乗り切ろうと考えるようになったのです。

パート割は個人の得手不得手や負担の量を考慮して話し合いで決め練習についても3人でやるパート練習の割合が大きくなりました。後輩2人もよく部活に来てくれて熱心に練習してくれました。

高専祭本番

練習やパート割などで試行錯誤しながらも時間は過ぎていき遂に本番の日が訪れます。プログラムを乗り越えるために様々な努力をしてきましたが課題が全て解決したわけではないですが本番が来た以上やるしかありません。

演奏が始まってからですがとにかく必死だったと思います。曲に置いて行かれないように食らいついて少しでも楽譜の書いてある音符を音に変換しました。一方で後輩を頼るべき場面では無理をせず後を考えてセーブすることを意識します。

そうしてパート全体で四苦八苦しながらも何とか最後の曲まで演奏しました*7。どれほど本番前にはった策が効果をもたらしたのかは分かりません。ですが少なくとも自分一人で抱え込んでいたらこれより上手くいかなかったことは明白でした。

パート全体で大曲に立ち向かい曲がりなりにも形にしたこの経験は非常に有意義なものでした。心では共闘感と大きな達成感を感じていました。

冬のアンコン

さて次のイベントはアンサンブルコンテスト(以下アンコン)です。アンコンは3~8人のグループで演奏しコンクールのように審査員に審査されて何らかの賞がつけられるのですね。

アンサンブルはバンドよりも人数が圧倒的に少ないため奏者1人1人が担う責任の大きさが全然違います。実力の違いが顕著に出る訳ですね。

コンクールの時に一緒にソリを吹いた先輩が提案する曲を私は演奏することになります。グループの人数は8人で最大人数でした。その曲が非常に高難易度であることに加えて初めての1stとしてのアンコン出場ということもありまた大きな壁に阻まれた気分でした。

ですが本科3年生になってからたくさんの曲にもまれながらも乗り越えてきました。それにこの曲を提案した先輩は今年度卒業です。何とか良い結果を残したいと思い日々の練習に打ち込みました。

ところで私達の地区では大学部門*8高専しか出場しません。つまり地区大会は県大会出場への推薦を勝ち取るために部内選抜になるわけですね。県大会の椅子は1つです。対して部内のグループは少なくとも4つはあったと思います。

アンコン本番

冬季の寒さとの戦いでもある練習を乗り越えて本番の日が来ました。自分なりにやれることはやったつもりでした。ですが演奏する曲は難曲であることは変わりませんし不安な箇所はたくさんあります。ここまで来たら腹を括るしかないと考えステージに向かいました。

結果から言いますとダメでした。結局のところ私たちの努力は審査員に認められませんでした。個人的にはコンクール高専祭といい流れが来ていただけにショックも大きかったです。

それまでお世話になってきた先輩にも報いることができなかったのも悔しかったです。本科3年生の学外での演奏活動はショックと悔しさで幕を閉じることになります。

そして本科4年生へ

本科3年生のまとめると急激に実力をつけ始めてそれが徐々に演奏に出ているという点でしょうか。実力だけで言えば最も伸びた1年だと考えています*9。「急激」という言葉を使ったのには理由があります。

それは事あるごとに難所や難曲にぶつかってきたためです。本科3年生で取り組んだ曲は自分の実力以上のものでした。ですから常に120%の実力を出すことを求められていました。必死にならざるを得ない環境と難曲を乗り越えていくことが成長につながったのではないかと考えています。

性格に関しては完全に部に馴染み1~2年の頃と比べて明るく活発的になります*10。当時の同級生や後輩に「性格変わった(変わりました)?」と声をかけられたのを覚えています。これが後の『たっさん』のベースになります。

さて少しずつ演奏の場で成功こそしているものの賞など成果はまだありません。その成功もパートなど周囲の人達による影響が大きいです。そのため実力は確実に伸びているのですがまだ大きな自信は持てないまま本科4年生に進級することになります。

後書き

最後までお読みいただきありがとうございました。高専勢地元勢問わず多くの読者がいるようで何よりです。感想を尋ねるとみんな口々に「読みやすい!」と言ってくれたのは嬉しかったです。執筆のモチベーションにもなります。

 

*1:大学学部卒業に相当

*2:ちなみに同じことをきいていた後輩の1人は裏で反発し文句を言っていました。自己嫌悪に陥ることしかできなかった当時の私の代わりに反発してくれているようで嬉しかったです。

*3:10年間ずっとマーチだったためもうごちゃごちゃで思い出せないです

*4:先輩方2人とのトリオでした。合奏外での練習をしすぎたせいで合奏で3人の中では足並みが揃うのですが指揮者と合わなくなるという問題が発生したのです。後に3人で考えたところ「指揮にあわせてずれるより指揮に合わせて演奏がずれた方がマズいよね!」という方向で意見が一致し本番でも指揮を無視して3人で超加速したのはいい思い出です。

*5:これはバンド全体にとってもそうでした。ではどのようにしてバンド全体の地力を底上げしたのでしょうか。実はコンクールと高専祭の間に吹奏楽祭なるイベントがあります。簡単に言えばジョイコンと同じグループを組んで演奏するイベントです。そこで演奏する曲としてこれを提案したのですね。つまりよりレベルの高い他校の生徒や指導者を巻き込むことで技術や演奏のコツを盗もうとしたわけです。巻き込んでおいてなんですが結果的にお互いの実力向上に繋がったと考えています。当時の他校の部員と指導者に改めて感謝しています。

*6:吹奏楽では同じ楽器の中でも1st,2nd,3rd…というようにパート分けされている楽器が多くトランペットもそのうちの1つです。大体は難易度順になっていますが作曲者の裁量次第なのでそうでもない曲もあります。

*7:スターウォーズメドレー」を含んだプログラムをやり遂げたことがバンド全体に与えた影響を考察しておきます。この経験から部内で大曲指向が高まっていくようになります。来年の高専祭ではクラシックやゲーム音楽のアレンジなど難しい曲が候補に挙がるようになり挑戦していきました。高専祭で大曲に取り組むことは簡単なことではありませんが苦労しながらも曲を形にしていきます。そうして大曲をこなしていくことでのバンド全体の実力向上と部員数の増加という機運の高まりが定期演奏会の開催を決定することに繋がったと考えています。要は「スターウォーズメドレー」を乗り越えたことは定期演奏会開催の布石だったんじゃないかと言いたいわけです。

*8:学校の種別的にそうなるようです。コンクールも大学部門なのですが本科1年生の時に「15歳で大学部門…?」という違和感を抱いたのは思い出深いです。

*9:完全に余談ですが本科2年生の終わりに他校の吹奏楽部員と付き合い始めました。本科3年生になった時にパートの後輩にその事がバレて散々揶揄されます。その中のフレーズの1つが「恋人ができると楽器が上手くなりますよ」というものでした。それを聞いた当時の私は「そんな訳あるか」と一蹴してましたが皮肉にもこの1年間自分の身をもって正しいことを証明することになりました。

*10:厳密には当時付き合っていた恋人の影響が大きいのですが。