【悩み】あなたは誰にどのように呼ばれていますか【考察】
まずは率直に読者にぶつけたい質問をタイトルにしてみました。呼ばれ方って人間関係を計る指標の一つとなると思います。ですが私にとってはそれ以上の自分のキャラクターを定義するキーワードでした。
この記事ではそれをテーマとした自分の悩みや考えを書いていきたいと思います。
それでは目次です
前置き
このような悩みや考えを書くような記事では基本的に自分が考えたことをそのままかいていきたいと考えています。もちろん日記や訪問記のように読者視点に立って記事を書く事は楽しいです。ですが反対に自分の考えや言葉をストレートに書く記事を書きたいという気持ちもあります。
ですのでレイアウトや構成をあまり考慮せずに書くので読みにくい記事になってしまうことを先に断っておきます。
本文
自分の考えを書く前に学校や会社で集団生活を送る上で呼称の意味合いを自分なりに整理しておきたいと思います。やっぱ読者意識してしまうな
集団生活の中では
日本語には氏名につけられる形の呼び方が多くあります。ざっくりあげても
- 様
- 君
- さん
- ちゃん
- 役職(先生、部長、先輩、後輩などなど)
- 呼び捨て
これくらいはあります。検索などすればもっとたくさん出てくるでしょう。氏名にこだわらないなら「お前」や「あなた」もありますね。多種多様だからこそあえてどれを選ぶかによって関係性が見えてくるのですね。
子供に自分のことを様づけで呼ばせる親も中々いないですし会社の重役を呼び捨てにしようものなら大問題です。そのため属するコミュニティの中で相手との関係や距離感を通して適切なものを選んで使用していく必要がある訳です。
自分の中では
呼ばれ方とは私にとって自分のキャラクターを決めるキーワードでした。相手との関係を計るだけではなくどのような発言や振る舞いをすればその呼称に相応しい人物になる考えてしまうのだと思います。
簡潔に言えば人から求められる人物像を演じようとしているのです。他人からの呼称がその役名にあたるイメージです。まぁ私自身不器用ですので外から見たら大して変わっていないのかもしれませんが。
とはいえこのようなことは程度の差こそあれ誰でもやっていることだとは思います。家族と同じような振る舞いを会社や学校でしている人は少ないとも思えますしね。
私の問題はあまりにも相手視点に立ちすぎて自分の主張や意見を押し殺してしまうことです。自分からサジェストできないので相手の意見や場の雰囲気に流されてしまいます。
また相手の話の返答する際にも自分の感情よりも『役柄』を意識して返答することもしょっちゅうです。要は体面を保つために思ってもないことを平気で言えてしまうのです。
そのため受動的で主体性のない人間になってしまうのですが大学院に進学し孤立するまで気づくことはありませんでした。
孤独の中では
大学院に進学してから私は社会的にも物理的にも孤立しました。それにはコロナ禍、一人暮らし、高専からの編入など様々な要素が絡むのですがまた別の記事で書きたいと考えています。
さて孤立とは具体的にはどんな状況かといいますと日常生活で人と接する機会が全くなくなりました。誰とも話さずに一日を終えることができるのです。
するとどうでしょうかこの状況では自分のことを定義してくれる人がいません。一人でいる状態だと自分が何をしたいのか、何になりたいのか考えても分からなくなりました。好きだった音楽も周囲に話を合わせるための『役作り』だったんじゃないかと思えました。
いくら考えてもわからないのでそのうち次第に周囲の事柄にも無気力無関心になります。自分の人生がかかっている就活や研究でさえどうでもいいと感じるようになっていきました。日常生活にも支障が出るようになり家事を放棄し引きこもりのように生活していたのです。
それでも休日は地元や前に在学していた高専の仲間たちと遊ぶことがありました。そこで趣味や仕事、将来の展望についての話題になると複雑でした。楽しそうに語る彼らに対して私はそれらが何もないのです。ですが本音を出して空気が悪くならないよう素直に称賛して応援する姿勢を演じていました。
そんな生活が1年間ほど続き休学する段階になって自分の空っぽさに向き合うようになりました。
これからの話
正直今も自分が何になりたいのかとかどうしたいのかいまいち分かりません。ですが少しずつですが自分のことに考えられるようにはなってきました。少なくともこのブログは誰かに勧められたり影響を受けて始めたことではありません。そのためこのブログが私の本質に近いものであることは確かです。
このブログを通して自分のことを考え、最終的には社会復帰できればと思います。
追記
当ブログ全体で200pv達成しました!いつも読んでくださっている皆さんありがとうございます!